The Room of 135

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雑文7・最初の一歩(1994年12月Flowin'~東京公演)

『ASIA MUSIC FESITIVAL』の熱も冷めやらぬまにシングル『Flowin'~』、アルバム『AI YAI YAI』が続けて発売された。そして、『Flowin'』のコンサートツアーが始まる。FCの優先予約は終わっていたはずなので、一般でチケットをとったはず。
今回も東京公演は平日だったので、就職していた友人らは無理だったのだけれど、前月からの勢いのままに一人でも!と東京公演に行くことにしました。

さて、当日。午前中に仙台を発って、夕方に上野に到着。カプセルホテルにチェックインしたものの、コンサートまでは時間がある。カプセルホテルの部屋(?)にいるのも何だし、とりあえずでかけたものの当たり前だけれど寒い!そこに聞こえてきた「献血お願いしまーす」の声に誘われて献血ルームへ足を向けてみた。
あとからわかったことなのだけれど、この時期、極度の貧血になりつつあり、献血をしようとしても比重不足でできないことがつづいていた。このときも「だめかな?」と思いながらだったのだが、以外にも比重・血圧ともにクリアして献血できてしまった。コンサート前で興奮していたためだろうか?久しぶりに献血できて気をよくしていた私に看護師さんが一言「(再出血するかもしれないから)今日は激しい運動は控えてくださいね」はて、コンサートは激しい運動だろうか。

ちょっと迷いつつもなんとか会場の『日本青年館』に到着。開演時刻間近になっていたので、焦っていたのだが、そこにはまだ入場を待つ人たちの長い列があった。「え?場所間違えた?…みんな135を聴きに来た人!?」不安になってチケットを確認するも間違っていない。さすが東京だわ~

席はK列の上手より。席についてみるとけっこう空席があった。平日だから遅れてくる人もいるのかな?などと想像しつつ、さらに見渡すと、自分の席の前の列辺りに空席がたくさんある気がする。ステージ近くの前の方はもちろん席が埋まっていて、後ろの席にも人がいるのに、なぜかその中間に空席エリアが…?これは一体…??思いついた理由は、前方がFC優先チケットの席で、後ろが一般販売の席…でちょうど一般の前の方の席にあたったのか?というくらい。…ほんとうにそんなことがあるのかはわかりません(^_^;

泣いてみればいい

客席が暗くなり、拍手のなかを135が現れる。「1曲目はなんだろう」と思う余裕もなく、ただ嬉しくて拍手をしながら、ステージを見つめつづけていました。
ステージのライトは落とされたまま、後ろから白い光が照らされる…その光の中から聞こえてきた笛の音が奏でていたのは“奈落へ”!めったにコンサートではやらない曲だと聞いていたのでびっくり。しかも、リコーダーなんて!逆光のまま(しかも、梶原さんの真後ろにライトが見える席)だったので、細かい様子が見えないのが残念だったけれど、逆光に浮かんだシルエットが幻想的で文字通り夢のよう。

ライブの中でも『天舞』のコーナーとして一つの世界を聴かせてくれたりした。賑やかな曲や“泣いてみればいい”で身体で歌う本田さんに眼を奪われる。おかげで「この曲は本田さんのボーカル」と覚えた。いや、その…この時点でも、まだ梶原さんと本田さんの歌声の区別ができていなかったから(大汗)

『AI YAI YAI』からなどの新しい曲ばかりなのかな、と思っていたら“夢勘定はひとりごと”“自由な蟻”とファーストアルバムからの曲も聴けて嬉しかった。“ドリーム・オブ・ザイール”では客席に手拍子・足拍子を教えてくれて、さらに、席のブロックごとにパートわけして合わせるということに。私は、手…だっけ、あとから入るパートだったのだけれど、「手と足両方に挑戦してみて」という高木さんの言葉にチャレンジしてみたけれど途中でしっかりずれていました(^_^;

MCではアルバムと曲をアパートとそこに住んでいる人に例えた話や、最近、興味をもっているものについての話など。梶原さんは新しいものに興味をもつというというというところから、高木さんが気になってる(?)お願いネコの話になったり。梶原さんが気に興味を持っているという話にもどって、大きく手を広げて「宇宙へ~!」の名言が飛び出したり。
さらに高木さんがドラゴンボールのかめはめ波やどどん波の話に持っていくので思い切り笑ってしまった。前の席(空席)の背もたれにしがみつくように笑いまくっていた。

きのはなし

とにかくMCが面白くて、一方で“黄河の流れ”“早く君に逢いたい”“落陽”としっかり聴かせてもらったりのギャップというかめりはりがすごい。終盤ののりのよい曲が連続したところでは、しっかり立ってのっていまた。

いきなりコンサートの内容が詳しくなったのは、直後の冬コミ(同人誌即売会)でレポート本というかコンサートの本を出せないかと描きかけていたからです(^_^;(そして、文体もいつものレポートの文体にひきずられています)さすがに一週間余りでは間に合いませんでしたが、上の画像はそのときに描きかけていたものの一部です。

この年の冬コミには、創作ジャンルで参加。友人と3人で“夢幻飛行”のイメージストーリー本を作ったので、カタログに載せるサークルカットに「135の本」と書いていたらそれを見て来てくださった135ファンの方がいらしてびっくり。自分で書いておいて驚くな、という話ですが、友人以外の135ファンの方と言葉を交わしたのも初めてだったもので。

年が明けて、1995年。私にとっての、135元年(^_^;の年が始まりました。

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