The Room of 135

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雑文8・私的135元年(1995年1月ボーリング大会)

年が明けて1995年。1月17日。朝起きてテレビをつけると赤と黒の光景が映っていた。
阪神淡路大地震。去年行った,大阪・兵庫あたりの風景,そのときに会った人たち,露頭・地質図が頭をよぎる。

友人たちの何人かは調査のために,また,ボランティアにと現地へ向かっていった。当時,体調を崩していたために,仙台に留まっていた自分がなにか悔しい。…と,ともにやりたいことがあるなら『今』やらなければ『明日』があるとはだれも言えない…。夏に感じた思いがよみがえってきていた。

1月下旬に届いたFCの会報にも震災へのお見舞い文が同封されていた。
それから、FCの集い『ボーリング大会』の案内も!2月17日、日曜日の昼のイベントでもあったので、参加することにする。

集合時間は12時35分。受付終了が12時55分で、ボーリングのゲーム開始が13時ということだったので、当日朝に仙台を出発して普通列車で東京へ向かった。

参加案内のハガキには、駅からボーリング場までの地図が描かれていました。当日、2月19日はその地図を見ながら駅から会場に向かいます。…が何故か着かない。
道行く人に地図を見せながら道を尋ねますが、2、3人で考えてくれたけれどわからず、いきなりピンチ。何組目かの方が「あっちの方じゃないか」と言ってくれた言葉を信じて突き進み、なんとか会場にたどり着きました。

集合時間どころかプレイ開始の時間にも遅れていたが幸いにもまだ受付中で、ほっとしながら列の最後尾に並んだ。…と、自分の前に並んでいた方と目があった、お互いに「あれ?どこかで合ったような…?」冬コミでスペースに来てくれた方だった!初めてのFC集い参加で、FC会員に知り合いもいなかったのに、会場に着いて最初に会った人が、数少ない言葉をかわしたことのある135ファンの人なんて、なんて偶然!びっくりした〜〜。このとき会った方とは、のちに一緒にライブに行ったり、いろいろお世話になりました。

さて、受付をしてもらって当日ルールとチーム表をもらいました。
「ゲーム中はサイン、写真撮影はご遠慮ください」とあって、ゲーム中じゃなければ写真OKだったの!とびっくり。カメラ持ってくればよかった〜(/_;)
自分では撮れなかったので、下の写真は、この日同じチームだった方からいただいたものです。

ゲームのやり方は、4人一組のチーム戦+個人戦1ゲーム。チーム戦は、一人ずつ交代で3ゲーム分行い、3ゲームのあいだに135メンバーが各チームにまわってきて、1フレーム投げてくれる、ということです。
ゲーム参加者は89名で見学のみの方もいらしたので、全部で100名余りくらい。チームごとのレーン位置も公平を期すために?その場で抽選にて決めていました。私の入っていたNチームはほとんど端の方で、メンバーがいる本部?からは遠くてちょっと残念。

遠いからメンバーがまわってくるのも遅いかな、と油断していたら、意外とランダムにまわっているので気が抜けない。というか普通にその辺りにいてプレイしているので、いろいろ手につかない状態に(笑)。
スコアをつけていたのですが、算数もあやしくなっていくし。それを考えると本部から遠いのはかえってよかったのかも。下の画像は当日帰ってから書いたメモの一部です。

ボーリング大会メモ

まず、梶原さんが2ゲーム目の中程できてくれました。オレンジのセーターを着ていらしたのだけれど、ゲームをして暑かったのか途中から脱いでいました。メンバーと話をしているファンの方もいらしたので、何か、何か…と考えていたけれど、真っ白になって何も浮かばず、あっというまに次のチームへ行かれてしまいました。

次にまわってきたのが高木さん。3ゲーム目の中程でした。一投目で9本倒れて惜しい!は、いいのですが、ボールがもどってこない。
一投目はしばらく待って、別のボールを取りにいこうとしたら戻ってきたり、二投目は、待っても待っても戻ってこない。仕方なく、高木さんがもう一つボールをとってきたら、先に投げたボールが戻ってきました。…機械にきらわれているのか…?ちなみにボールの色から本田さんの使っていたボールより重いものでした。(本田さんは、11パウンドを使っていた)

最後は本田さん。チーム戦の3ゲーム分が終わり近くになってもいらっしゃらず、最後の1回分をとっておいてお待ちしていました。
このとき、スコアをつけながらメンバーが投げたフレームにお名前を書いていました。すると、レーンにいらした本田さんがスコアをのぞいて「そんなのつけるなよ〜」と声をかけていかれました。135メンバーと初めて話をした瞬間でございました。話したと言っても、「いちおう、記録だから〜」と返しただけなんだけれど。

舞い上がりきっていたので、ただでも下手なのが個人ゲームではさらにぼろぼろ(笑)。
ゲームが終わると、15分ほど歩いて表彰式の会場へ移動。駐車場で全員が出てくるまで待ちます。
ボーリングをしていたあいだもそうだったのですが、メンバーが普通にファンのあいだにいるのが意外というか、なんというか、こんなんでいいんでしょうか?状態。確かに、アイドルとかじゃないし、ご本人たちもファンも年齢層が高めですから落ち着いているのでしょうが、アーティストとファンだよ!?

普通…といっても、写真撮影を求められてツーショットを撮っていたりしていました。けれど、女性率が高いことを除けば、大人数の集団なだけのようで。やたらとドキドキしている自分が場違いのような気がして、どうしましょう…な感じ。
高木さんを見つけるとどなたとも話をしたりしていなかったので(この状態が信じられない)近づいていってみるも、やはりなんと話しかけてよいか思い浮かばず、内心おろおろ、外側はじーっと眺めているだけ(挙動不審である)。

表彰会場への移動は、みんなで歩いていきます。話しかけられないままに高木さんの背中をみながら歩き出すと、ファンを追い越してどんどん背中が遠ざかっていく。100人からの集団が歩道を歩いていってるのに、どうしてそんなにスムーズに進んでいけるの?というか、なんでみんな話しかけたりしないのー?

それでも、視界内にメンバーがいなくなったので、ちょっと落ち着くことができて集団の流れにのって歩いて行きました。
ところが、角を曲がったところで梶原さんが交通整理の人のように立っていて不意を突かれました。「添乗員さんみたい」という声も聞こえてきたりして。さすがに、立ち止まろうとする方もいたのか「はやく行きなさい」と声をかけていました。
本田さんは、集団の先頭の方にいらしたのかな?移動中はお見かけしませんでした。

ボーリング大会表彰式

表彰式の会場は、料亭っぽいお店の二階。座敷を二間抜きで広間にしていました。長い座卓が縦に並んでいて、一応チームごとに座るようにという話だったのですが、すしづめ状態でチームで集まる余裕はなし。
まずは身体に悪いんだけど(by梶原さん)の缶コーヒーで乾杯。
チームごと、個人でそれぞれ1〜3位まで、ブービー賞などの表彰がありました。

ここからお話しあれこれ。梶原さんは、前夜、髪を洗ったら寝癖がついてとれなくて気になるという話とか。そして、髪じゃなくて、頭皮?というつっこみが入る(^_^;)
今日のゲームについては、どのチームでもいいスコアを出したかったのだけれど、そうもいかず…。「ストライクは1カ所だけ」だったという梶原さんと高木さん。一方で、本田さんはめりはりが激しかったらしく、「ガター・ガター・ストライク」と言われて後ろの障子をかきむしる仕草をしたり(笑)。

ボーリング大会表彰式歌

最後に、せっかくなので、と梶原さんのギター1本で“JUST TONIGHT”“flowin'〜”を歌ってくださいました。
これだけでも、じゅうぶん楽しくて満足!さらに、この日の記念にと一人一人カードにサインをしてもらいました。あらかじめ名前と書いて欲しい言葉などがあったらメモに記入してお願いする形です。私は、忘れようもない会員番号666を書き入れてもらいました。

話が前後しますが、この『ボーリング大会』のお知らせと一緒に3月に行われる『135SKI&LIVE TOUR』のお知らせが届いていました。北海道の大沼のスキー場に2泊するツアーで料金も高額(^_^;(何種類かコースがあったのだけれど、当時学生の自分には手の出せる金額ではなかった)
しかし、函館近郊の人たち用にライブ&ディナーのみのコース(Dコース)があったので、これで参加しようかと考えていた。(仙台が函館近郊か?という問題があるのだけれど)
ボーリング大会のときには宿泊をするコースの申し込みは既に始まっていたのだが、Dコースの申し込みは「空席があった場合」にボーリング大会の翌日から受付開始だった。この日まで、決断できずにいた私を、この日のできごとが参加の方向に強く押してくれた。
この日出会った方たちの中に『スキーツアー』に参加する方がいたというのも、心を決める理由になった。
よし!『スキーツアー』に参加しよう!!

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