The Room of 135

TOPVarietyEssay 》 雑文2

雑文2・はじめてのコンサート

※本ページの画像はクリックで大きく表示されます

 135miz-incoのCDを手にして135にハマり、まずやったのは仲間を増やすこと。
 手当たり次第の友人に135のことを聞いてまわり、知らなかった相手にはCDを聞かせまわった。そのとき興味を引くためによくやったのが、『自由な蟻を聞かせて「これ、何語で歌ってると思う?」と尋ねる』いうもの。答えは、素直な方は(?)中国語、スペイン語あたりが多かったかな…、私の性格を読んで「わざわざ尋ねるということは…聞こえないけど、日本語」と答えたヤツも(苦笑)これでけっこう興味を持ってくれた人が多かったあたり、類友というべきか…。

 類友と言えば、自分と同じく同人誌から135を知っていた友人もいた。もちろん、ふつうに(^^;135を知っていた友人もいたけれど、その当時の活動が全然分からない。音楽情報誌、イベント情報誌などで探そうとしても見つからないし、テレビやラジオでも出会わない。まさか解散してるんじゃないだろうな…と、不安がよぎる。

 その年の暮れ、帰省していたときにテレビ番組の予告でmiz-incoの曲が使われているものに遭遇した。これは、本放送のBGMも135の曲では?と、期待、拡大。放送日は、年を越した1月5日。
 ところが、当日は家族とのチャンネル権・ビデオ録画権争いに負けて音を聞くことしかできなかった(泣)しかたなくラジオで音だけを聞いていた…ナレーションの後ろから流れてくるアルメニアの古城砂上の伝説に、嬉しいような悔しいような…嗚呼…画面が見たい…。
 かろうじてエンディングだけは、見ることができて、砂上の伝説をバックに砂漠の風景の上に流れるエンディングテロップに『135』の名前を見つけてさらに涙する…。

 そして、運命の1991年2月22日。

1991年2月22日午前6時30分ごろ

 そのころ毎朝、6時からのラジオ番組を聞いていた。普通なら番組が終わったらすぐラジオを消すんだけど、この日はたまたま消さず…。
 すると、何か聞き覚えのある歌声が聞こえてくる…つづいて「135のコンサートは…」とナレーションが聞こえてきた!

 ええ!跳ね起きましたよ。私。思いっきりがばっっと。
 自分が布団をはねとばした音でコンサートの場所も日時も聞こえなかったくらいがばっと(笑)。

 コンサートの告知CMだったらしいのに…。
 そのまま半ば呆然として、ラジオの前でへたりこんでいたら、次の番組がその日は『コンサート特集』で、135が話題になった!

 その番組で、2月28日に仙台・DACシティ丸光CADホールでコンサートがあることと、その日の前日(2月21日)に3枚目のアルバムが出ていることを知った。
 本気でこれは、運命かも!って思った。だって、普段は聞かない…その日初めて聞いた番組だったんだもの。ここで出会わなかったら、その後いつ出会えたのか…。その時は今ほどは思わなかったけど、それでも、偶然に大感謝した朝だった。

 さっそく店が開く時刻を待ちかねて、チケットとCDを買いにでかける。CD店を数店めぐって商店街の小さめのお店でオーダーメイドを発見。
 店頭に出ていたのは残り2枚。そのCDについていた解説(?…たぶん、CD店でつけていたものだと思う。パッケージの片隅に小さな紙片が貼ってあった)で、活動休止していたことを知った。

 アルバムを聴いての感想は…「現代風に、日本風になったなぁ」だった。日本って、和風って意味じゃなくて、それまでのアルバムが民族音楽というか、異郷の音楽っぽくて夢の世界を創っていた気がしたのに比べると、もっと現実感、実在感があるという意味で。
 どうしてそんな言葉を選んだのか分からないけど、当時の日記にそう書いてあるんだからそう思ったんでしょう(笑)。ちなみに、この当時135のグループ名の由縁は知らなかった。

 135の由縁どころか、メンバーの名前も知らなくてこのオーダーメイドの歌詞カードで顔を名前を知った。
 と、言っても写真を見て「この人達が135なんだ」と思う程度。
 3人分の名前が分かっても、写真のどの人がだれかを想像しようとも思わなかった。ただ、どういうわけか「長髪はエレキギターかベース」とういう思いこみ(…すり込み?)を持っていて、写真の中の長髪の人はギターかベースかな…と。

 今だったら歌詞カードの担当楽器を見て「この人が高木さん?」とか想像したんだろうけど、そういう知恵(?)もなかったというか…率直に言うと、名前とか顔とかはどうでもよかった。写真で気になったのは、6~7ページの3人が上を見上げているところを下から撮ったもの。オーダーメイドの写真は全体に背景とか写真の縁取りとかシックでかっこいい。

 アルバムの曲のなかで気になったのは東野
 言葉で上手く説明できないけれどサビとその前後の流れに惚れました。(ここで語り出すと長くなるので止める)この曲の作詞者と作曲者として、「梶原茂人」と「高木茂治」の名前が頭に残った。

 コンサートのチケットの方も、無事購入。
 タイトルを見ると「Act.1オーダーメイド」Act.1ということは、このあと2、3…って続くのかな?などと想像してみる。しかし、不安になったのがチケットの裏の番号…席順の整理番号とかじゃなくて、業務上の整理番号みたいな番号…ありますよね、それが「012191****7」。
 前半は91年1月21日発売ってこととして、「7」って…まさか7枚目に売れたチケットってことじゃないだろうな。当日会場に十数人しかいなかったりしたら寂しいぞ~。このとき思いだしてしまったのが西村智博さん(本業は歌手で声優etc.もやってる…はず)の話。当時某アニメで声優として人気がでて、ライブも盛況だったようだが、その前にはライブに5人しかお客さんが来なかったこともあったとか…。

 でも、西村さんの話はレコードを出す前の話だったし。135は、アルバムも3枚目なんだから…。自由席だから、ゆっくり行って後ろの端の方に座るのもいやだし、でも、早く行ってだれもいなかったら寂しい限りだし…。ひたすら、悩む悩む。
 道連れがほしくて、友人に声をかけるけど、コンサートまで1週間という時期。ちょうどスキーだ帰省だ、で予定が決まっていてだれもつかまらず、思わず茨城の友人まで誘ってしまった(当然ながらこれも却下された(笑))

 悩んだまま迎えたコンサート当日。
 結局、開場の30分前くらいに行ってみました。そしたら、会場(デパートの7階)に向かう階段に列が出来ていてホッとします。周りに並んだ方たちの話を聞くともなく聞いていると、以前にも仙台でコンサートが会った様子。私の周りにいた方は、ほとんど前のコンサートに行っているようで、ちょっとうらやましくなった。

以下は、当日帰宅してから書いた日記から。

行ってきました135!!もう頭の中はこればっかり。彷徨をやってくれなかったのはちょっと残念だったけど、砂上の伝説をやってくれたからまぁいいか…と

ただ、部屋が狭くて音響効果が今ひとつだったな…と うーん、トキオの顔とか賑やか?な曲は、まだ、いいんだけど、MIZ-INCO(やっぱりミジンコだった)に入ってる曲のように透明感のある曲には…あわない-と思う

こういうのにそんなに行ってないからわからないんだけど…あの部屋はやはり狭かった!どこがホールなんだろう。そのわりには人は入って…最初100人弱…80人くらいの椅子しか置いてなくて、後からどんどん出して100~120人分くらい?3、4割くらい椅子が増えていた。
立ち見もいたのかしら。ま、曲のほとんどは立ってリズムとってのって、踊っていましたけど。
椅子も後ろの方はとにかくあれば…って感じで、会場の外の休憩所?の椅子らしきものまで…。

次のLiveは早ければ夏とか(^^)それより先に、3月25日に東京であるんですよね…行ければ行きたい…けど、帰ってこれなさそうだし。
同時にファンクラブ会員も募集してて、さっそく希望を出してきました。ファンクラブに入れば、気付いたらアルバムが出ていたとか、1週間後にライブだったとか(^^;)ということはない…でしょう。

それと、会場でもCDを売ってまして…ポスターとサイン付き!!思わずP(←友人)がオーダーメイドを買っていないことを祈りつつ買っていまいました。しかーし、どれがどの人のサインかわからなーい。

 初コンサートの感想がコレかいって感じなんですが(^^; 記憶では「生」だってだけで喜んでいたような(笑) 中央の人(=梶原さん)は、本当に幸せそうな笑顔で歌う人だなぁ。ずいぶんギターを替えてるから、音を大事にしてるんだろうな。左側の人(=本田さん)は、とっても楽しそうに体中で音楽してる感じ。右側の人(=高木さん)は…頻繁に水分(烏龍茶だった)を摂ってるな~と…何を見てたんだ(^^;

 とりあえず、3人の顔と名前を一致することはできた。
 ところが、私はこのコンサート後でも重大なことに気付いていなかった…それは、

ボーカルが2人いたということ…

まじめに…なんです……

Essay