The Room of 135

TOPVarietyEssay 》 雑文4

雑文4・ようやくFCに入会

 年がかわって、4月、無事3年に進級できた頃、『Pentangle』のリリースとコンサートが行われることを知った。今回は、近所の小さなCD屋さんで購入。お店がビクター系なのか(?…看板がビクターだった…)友人の分の135のCDを注文したときの取り寄せが早かったのと、おまけがついていたので。

 「Pentangle」と書き込まれた木の枝の隙間が5角形だったり、三つ折りの歌詞カードの片隅に135がいたりと細かいところが楽しくて、お気に入りのジャケットになる。5曲と曲数は少ないけれど、エッセンスの部分を抽出してきた感じで『上質』な印象。

 そして!謎の曲(苦笑)“奈落へ”が入っていた!!
 歌詞だけ知ってから3年近く?Re-mixというのが気になるけれど、いよいよ聴ける。わくわくどきどきを抱えながら、CDの頭から順番に聴いての5曲目。最後の曲。

へぇぇぇ~こんな曲だったんだ~

 しばらくこの曲だけくり返し聴き続けました。
 5曲の中ではちょっと異色かな?でも、こっちの思い入れもあるし(笑)、ほかの4曲もそれぞれの色がはっきりした曲なのでそれほど突出した違和感は感じなかった。

 また、『Pentangle』というと思い出すのが、この前の年に事故死した友人の命日のこと。友人は、山形から仙台へ帰る途中で事故にあった。同じ道を同じように山形からたどろうと友人らと車で山形へ。その道中『Pentangle』をずっとかけていった。くりかえし、くりかえし。
 友人は、SETが好きで、彼のすすめで仲間内、みんなでSETに(…といってもCDで)はまっていた矢先の事故。事故の夜(…数時間前)も私の部屋で、CDをかけながら、ばか話をしてた。笑ってた。
 ずいぶん後になって135とSETのつながりを知ったとき、彼のことを思いだした。彼は『ディストピア西遊記』を観たのだろうか。“奈落へ”を聴いたことがあったろうか。あの日、『Pentangle』をかけていたのは偶然のはずだけど…。

 そして、彼の遺影(?)は、今、私の部屋にある。これも偶然。彼が志望していた講座に進んだ仲間で、学生研究室にせめても…と、写真を置いていた。卒業したりそうでなかったり、そのときの仲間連中が少しずつ学校を去る中で、最後まで学校に残ったのが私だったから。彼のことを知る人もいないなかに写真をおいてくるわけにもいかず、そのまま持ってきてしまった。

 その私が進んだ学科というのは、地学系の中でも一番泥くさい学科で、野外実習もたっぷり、学年で女性は私だけ。(歴代でも3人目?とか聞いた) 進級してその日に、装備一式を渡され&買いそろえ、次の日から巡検(野外実習)へ。4月に入ってすぐの巡検はいいんだけど、仙台と山形の間の山の中で1週間通いでやる巡検が、6月中旬にある模様。コンサートの日程に重なるかもしれない…。
 山の中のけもの道、木挽き道をたどって、道がなくなれば藪に突入して道を切り開く(^^;)日没まで道もない山の中で活動して、そこから道路まで戻りさらに、仙台まで1時間…。もし、コンサートに重なったら、ぎりぎり開演まで間にあう…?でも、ドロドロで行きたくないし、大迷惑だし。
 とりあえず、チケットを取ってドキドキしながら日程が出るのを待っていたら、重ならなかったかわりに、巡検のレポートで徹夜つづきの中でコンサート当日を迎えた。

 さて、そのコンサートのタイトルは『ACOUSTICAL WORLD~うたかたの伝説~』。場所は青年文化センターシアターホール、名前のとおり演劇を意識して作ってあるらしく、舞台に花道があったりするステージでした。席は、前から3列目、本田さん側のブロックの中央より通路際。ちょっと近すぎるかな?くらいの場所。
 ところが、そういうわけで睡眠不足…で、つい、うとうとと……いや、眠ってはいなかったと思うけど……ごめんなさ~い(^^;;;;;やはり実験続きで寝不足だった友人は、しっかり寝ていた……。まぁ、いびきをかかなくてほっとしたかな…(;^_^A
 それまでの間に高木さんは、『歌わない人』なんだとインプットされていたので、“SPACE TOUR”でメインボーカルをとったのでびっくり。

 数年後、この日いっしょに言った友人と話をしていて、いきなりこの日のライブの話をし始めた。
 他の曲は、どの曲をやったとか覚えていなかったらしいんだけど「あのCDに入っていない曲(=“SPACE TOUR”)は、よかった。まだ、CDに入らないの」と。あんた寝てたはずじゃないの?!…とは、言わなかったけどね(^^;) よっぽど印象が強かったらしい。

 このころ、仙台駅のコンコースで中古CDのセールに出会った。
 何の気なしにのぞいてみると…『砂上の伝説』のシングルCDを発見! c/wは“秘恋'87”、どっちもアルバムに入ってる曲だな~ケースも半分に折られているし…。でも、シングル版でアレンジが違っているかもしれないし!…を期待して購入。残念ながら、アルバムと同じだった。

 コンサートの直前だか直後だか(よく覚えていない)に、ようやく135FCへ入会申し込みをする。その最初の会報が届いたのが7月。ブルーの封筒に、宛名のシール…その片隅にある番号は、『666』この番号って…会員番号?!オーメンか、ダミアンかっっ!!
 おそるおそる取りだした会員証の裏にも、案の定、その番号が書いてありました。おかげで、番号を忘れるということがないので、チケット予約などの際には便利です(笑)

 いっしょに入っていたのは、ステッカーとポストカード、そして会報VOL.4と臨時号。会報の表紙は135の写真とその頃のスケジュール。1ページめくると、おお!3人の子供の時の写真とちょっと若いときの写真。子供時代の写真はそれぞれの名前が書いてあるのでわかったけれど、ちょっと若いときの写真は、いまいちどれが誰か分からない・・・本田さんの素顔も知らなかったしね(^^;)
 4枚の写真以外の部分は、ほとんど3人の文章で埋めつくされている! 次のページもその次も!すごい!! デビューまでの道のりやレコーディングの話など、むさぼるように読みました。(この原稿を書くために、引っぱり出して、また、読みふけってしまった(笑))

 FCに入ったのは、ライブやCDのリリースなどの情報を欲しかったからで、135については、自分が好きな音楽を創りだしてくれる存在、というふうにしか思っていなかった。それが、会報を読んだらただの存在じゃなくて、『人』としてせまってきた感じがした。しかもすごく魅力的な人として。
 臨時号の方にも、3人の文章と第1回ファンクラブの集いのお知らせなどが載っていた。FCの集いは8月に東京で…実家のある茨城から比較的近いんだけど、夏の間は卒論のための山ごもりに入るのであきらめる。

 卒論も野外調査が基本で、8月~9月下旬まで群馬の山の中へ。これだけの期間になると、宿屋に泊まっていては金銭的につらいので、役場で紹介してもらった人の家の離れに住まわせてもらう。電気、ガスはあるけど、電話やテレビはない。さすがにさみしいので、小さなラジカセを持参した。
 当然、135の曲をいれたテープも持っていって、聞きながら1日の作業を地図にまとめたりする。山の中を歩いているときも自然に135の曲が頭を流れていることが多かった。“砂上の伝説”“Will~”“奈落へ”あたりが多かったかな。
 予定していた範囲を終わらせることができずに、夏が終わる。予想以上にけわしい地形だったのが原因の一端……だけど、今、思うと地図上で自分が決めた調査地に、なかなかたどり着けずにロスした時間が大きかったのではないかとも思う(^_^;) 思ったところと違うところを調べていて、1週間分の結果を書き直した事もあったし…でも、この時点で、自分が方向音痴だという自覚はなかった…自覚を持ちだしたのは135のライブなどに出かけるようになってから…

 山から戻ってしばらくした頃(?)、会報が届き、135が参加したさだまさしのチャリティーコンサートのCD『スマイルアゲイン』が出ていることを知り、早速購入。しかし、梶原さんと本田さんの歌声の区別も出来ないヤツに、聞き分けができるわけもなかった(^_^;)(全然分からなかったわけじゃないんですけどね。聞き分けできない自覚はあったので、確信が持てなかった)
 秋から冬へ、1日のほとんどを学校で過ごし家には着替えと入浴のために帰るだけという生活の中で『天舞』『moment』のリリースを迎えた。

Essay