The Room of 135

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雑文5・ダフ屋出現~生きててよかった

 『天舞』は、コンセプトアルバムで、同名のスーパーファミコンのゲーム(三国志のシュミレーションゲーム)のBGMというかイメージアルバムというか。セガのMEGA-CDも出たけれど、スーパーマリオでゲームに挫折していた架夢心はゲームの方には全く興味はなく、三国志のイメージアルバムとして聴いた。
 インストの曲が多く、音で創りだされた世界にひたる快感を覚えた。また、声だけで奏でられた曲-“湖畔詩人”-で、重なり合う声どうしの美しさに惚れなおした。

 ゲームの三国志の世界にられているはずなのに、音楽的にはとても自由で広さと深さを感じたアルバムだった。かえって『moment』の方が、世俗的(^^;)というと違う気もするけど、まるめこまれた丸さ…といいますか…丸く削られた分だけどこか狭くなっているような感じも受けた。

 もっとも、『moment』の第一印象は、それより何よりジャケットの写真。それまで、黒、青、赤…といっても派手じゃない渋めの赤…のような色使いだったのに対して、黄緑、黄色、オレンジと黄色みが主体になってそれだけでもびっくり!
 その上、全体に波紋の起きている水面越しのような光が当たって輝いている効果がかけてあって、やけに派手になったな~が第一印象だった(^^;)

 なんだかんだ言っているけれど、たぶん、今まで一番たくさん聴いたのがこの『moment』だと思う。
 理由はいろいろあるんだけど、その一つは、この時期から顕微鏡を覗いたりする、地道な作業にハマっていったということ。単純作業なので、BGMは欠かせず、学校にいろんなテープを用意していたけれど、135の曲を聞いていることが多かったから。コップいっぱいの砂粒を調べて、その中からあるかないか分からない化石を拾い出す…そんな、作業にとくに“奇跡”は、はまるものがあった。

 折しも、この年か前の年かにバブルが崩壊し、友人の中には2月に内定を取り消された者もでるなど、先の見えない不安がひたひたと寄せてくる。自分が「奇跡」をつくりうることを信じようとして、ひたすらに歩き続けようとしていた。

 『moment~天舞~』のコンサートは、3月に東京・名古屋・大阪・広島の4カ所で行われた。幸いなことに東京公演は土曜日で、茨城で就職していた友人もその日のうちに家に帰れなくても大丈夫ということで、友人2人といっしょに行くことにする。

 初めてFCの優先予約でチケットをとった。

 意味もなくそのことが嬉しかった。そして、初めて東京のコンサートに行く…それも、大好きな135で…。

 と、非常に楽しみにしていたのだが、この春からいっしょに住むことになった弟がコンサートの日に引っ越してくることになってしまった。強引に行こうかとも考えたけれど、まあ、またすぐに仙台でコンサートがあるだろうし、とあきらめる。

 このときは、自分の分のチケットも友人に渡して使ってもらったので、チケットも無駄にならなかったし、行けなかったことに対する悔しさはそれほどない。「行かなかった」ことは、後悔しているけれど…このとき行っていれば、もっとはやく東京へもコンサートなどで出かけるようになっていたかも知れない。後から考えると、きっかけをひとつ、自分から手放していたのかな…と。

 コンサートに行った友人から様子を聞けたというのにもなぐさめられた。内容がすごくよかった、と言われて、「やっぱり、行ってれば…」と思ったのも本当だけど。何も分からないより、ちょっとでも様子を聞けると嬉しい。
 しかし、なにより驚いたのは、ダフ屋がいた!ということ、「135でも東京だとダフ屋が出るんだ~!」(失礼(^^;?)さすが、東京は違う!(友人も135では群馬のコンサートしか行ったことがなかった)

 東京のコンサートは3月27日。翌月早々に、卒論のテーマ変更を決める。じつは、前年11月からそのときのテーマで続けるのは無理じゃないかと言われ始めていたのだが、テーマに対する執着と、立ち止まることがこわくて…ずるずると続けていた。時間がないこともあって、新しいテーマは、それほど山に入らなくてもすむものになったため、この年の夏はほとんど仙台で過ごした。

 7月にシングル『Catch~次の夏が来るように~』が発売され、タイトル曲がNHKの「みんなの歌」で流された。さわやかな曲で、「みんなの歌」で曲をバックに流れていたアニメーションもさわやか。また違った135の一面を見た気がした。
 しかし、タイトル曲よりc/wの“それでも僕らはいいときに生まれた”の方が気に入っていた。自然の夏の暑さが感じられた曲。「いいときに生まれた」そう思って、前に進んでいこう。とにかくこのころは焦っていて、135の曲に頼っていたというか、その中から励まされる要素を見つけだしては、励ましてもらおうとしていた。

 8月に東京・大阪で『Voice Of Summer』、9月に東京で『Voice Of Autumn』、12月に東京・名古屋・大阪で『Voice Of Winter』が行われたが、遙か彼方でおきているできごとという感じで、行けるものとも思っていなかった。12月にいたっては、卒論提出の時期だったし(^^;)
 それでも手帳には優先予約の規定のメモが残っている…のは、いちおう行こうと考えてみたのか、友人の分をとろうとした名残か。結局はどちらもやらなかったんだけど。
 茨城の友人が12月のライブのチケットを一般で取ろうとしたら完売しいて、これも驚いていた。…こういうことで驚く私らって(^^;)…どんどん大きくなっていく135、を感じる。

 なんとか無事に卒論がとおり、卒業したが、そのまま大学院に残る。中途になってしまった方の卒論の分野に戻ったが、国内では、サンプルを集めるのにも無理があったので、アメリカにサンプル収集に行くことにする。今回は3週間の短期決戦。

 その準備でばたばたしている頃、SETの公演『シャンバラ・チンタマニ 第四帝国の逆襲』の音楽プロデュースを高木さんが、音楽を135が担当するというお知らせが届いた。
 公演日は7月5日~24日、ちょうど帰国してすぐの時期で、比較的暇な時期(収集するサンプルは岩石なので船便で日本に送る。そのため1ヶ月位しないと届かない。もちろん、その間にすることはあるけど)。SETの舞台を見たかったし、優先予約で申し込む。

 優先予約の日が6月5日で、6月8日に仙台を出発、7月3日に帰国。向こうでは、ほとんどユタの荒れ地で過ごした。一番近い隣州のネバダの町(と、いっても人口100人弱)から片道60マイル以上を通うといった調子で、大地の広さが日本の比じゃない! ガソリンも毎日給油。今回は、教授と先輩と一緒で運転はしてもらえたのは助かった…が、ナビは私…。やはりというか道に迷ってしまうが、このまま、迷い続けたらガス欠で野宿か?…というか、遭難??…とは、コワくて言えなかった。
 なんとか山の中から脱出はできたが、荒れた道を長距離走っていて無理が重なったか、帰り道でタイヤがバースト(+o+)。車は道路から荒れ地に突っ込んで、ひっくり返ってしまった。

 車が大変なことになってた割には、助手席に乗っていたにもかかわらず自分はほとんど無傷。肋骨にひびが入るけがをした先輩に「女は強い」と言われた(苦笑)。
命をかけた?!サンプル採集も無事??終了。このあいだに、1ドルが100円を切り(泣)、帰国して成田から実家へ向かう車の中で松本サリン事件の報道を聞いた。

 仙台のアパートに帰ると、SETのチケットとシングル『雨色の街から』リリースのお知らせが届いていた。
 SETの公演は7月16日(土)の昼公演、節約のため、往復普通列車利用で日帰り。半ば以上音楽目当てではあったけれど、演劇自体に大満足。音楽の方はというと、BGMとして情景を演出するだけでなく、みんなで歌いながら踊ってたりしてすごく面白かった。感動した。
 なが~い帰り道の途中、眠りと現実のあいだを彷徨いながら思ったこと…

嗚呼、生きててよかった…。

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