The Room of 135

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雑文3・『fortune』に涙

 135の場合、CDのジャケット写真などの「どの人がだれ」「どの人がボーカル」なのかをライブで知る人も多いようです。

 それで「驚いた」とか「やっぱり」と思ったとかいろいろ(^-^;)あるようですが、私の場合は「どの人がだれ」は、ともかく「どの人がボーカル」かは、全然認識していなかった…。
 そもそも、CDを聴いてボーカルが2人いるということに気づいていなかったのですが(-_-;)、ダブルボーカルの“夢幻飛行”を聴いたはずなのに、全く気づかず…、気づいたのかも知れないけど記憶に残っていませんでした。ギターのこととかは、ある程度覚えているんですけどね~(^^;;;
 今となっては、不思議なかぎりなんだけど、「2人ボーカルがいる」「“夢幻飛行”は、ダブルボーカル」と知って、そのつもりでCDを聴いても聞き分けられなかった……。ちゃんと梶原さんの声と本田さんの声を聞き分けられるようになったのは、このあと実に4年以上たってから…になります。

 そんなこんなの初ライブから2ヶ月くらい後(?)、ファンクラブ発足のおしらせが来ましたが、この時には入会しなかった。このとき入っていれば100番台だったかもしれないのに(番号は101番からはじまる。ちなみに135番などは欠番)。
 一緒に「Act.1 EVEN」ツアーのおしらせもあったのだけれど、仙台公演がなかったので、気合いが入らなかったのもある…。名古屋、大阪、青森、新潟、長崎、横浜…「仙台はよけて行かれたのか?!(笑)」と思ったりして(^^;)

 この年の8月、135は仙台七夕の「夕涼みコンサート」に出演しました。
 毎年行われる野外ライブなのですが、そのころの私はそんなイベントがあることも知らず、135が来ていることも知らず……家族の仙台観光につきあって、雨の七夕をうろうろしていました。七夕は(少なくとも、私が仙台にいた間は)けっこうな確率で雨が降っていて、さらに、この年の七夕は格別に寒かった気がする。

 夏が過ぎて、秋も半ばにさしかかった頃、音楽雑誌で『135IV~fortune~』のリリースを知りました。
 今回は、大学の生協でちゃんと予約して手に入れました。不思議と135のCDはどのお店で買ったかとか、買ったときの情景を覚えているんですよね。
 アルバムの彩(いろ)がとてもはっきりしている感じがしました。彩自身がハッキリした色だというんじゃなくて、アルバム全体でのイメージが統一されているというか…まとまってひとつの世界を創っている気がしました。
 気に入った理由に、生楽器の音もたくさん入っていたこともありました。その中でもバイオリンの音がとくに印象的に耳に飛び込んできました。

 バイオリンには思い入れというか、羨望がありまして…。
 吹奏楽でクラリネットをやっていたとき、クラシックの曲をやるときには、たいがいクラリネットがバイオリンのパートを担当しました。アレンジというほどではないんだけど、各楽器用に移調したり、一部短くしてみたりなど…と、譜面の書きかえもやったりしたのですが、そのなかで困ったのが、息つぎの場所…。
 バイオリンは、弦楽器なので息つぎない!
 いつでも、というわけではないのですが、少なくとも当時の自分たちでは息が続かないくらい音が続く場所がありました。仕方なしにひとりひとり息つぎのタイミングをずらして音を続けたんだけれど、それが、妙に悔しかったんですよ(苦笑)。このあたりから、ギターを含めた弦楽器に対するあこがれが生まれたような気がする…。

 ちょうどコンビニで早朝バイトをしていた頃で、目覚ましに『fortune』をかけていた。雪で原付に乗れないときには、歩いてバイト先とそのあと学校に行ったので、その間もBGMは『fortune』…と、ほとんどいつでも、聞き続けていた感じ。早朝の雪景色に似合っていたようなそうでもないような?!

 アルバム発売から1ヶ月余り、「FORTUNEツアー」の仙台公演が12月24日に市民会館で行われました。チケットも発売日に買いに行って2列目の席をとって準備万端。
 コンサート間近の22日、茨城の友人が泊まりに来て、アパートで早めのクリスマスパーティをしました。翌23日朝「今日はどこへいこうか」などと話をしていたときに電話が鳴りました。実家からの電話で、この朝、祖父が亡くなったとの知らせ…。友人を仙台駅で見送って、帰ってから受けた知らせによれば、やはり、通夜は24日夜!

 急なことでチケットを誰かに譲ることもできず、そのまま祖父宅へ行きました。ちょうど、仙台でライブが始まっていた頃、ライブに着ていこうと思っていた黒の上下を着てお経を聞いている自分がいました。悲しいんだけど、涙がでてくるんだけど、その涙は何のためのものなのか…それが自分でも分からなくなって、頭の中がごちゃごちゃになる気分。
 このあと数年、『fotune』の曲を聴くとこのときの気分がよみがえってきて、ほとんど聴くことができなくなりました。

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