The Room of 135

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雑文10・星降る帰り道(1995年3月函館スキーツアー・4月NHK-FM公開録音)

函館ツアーコンサート衣装

パノラマの話。今回はスキーツアーなので、ゲレンデやゴンドラのなかでメンバーとファンが一緒になったりすることもあったということ。梶原さんが、チャンピオン・コースに行ってみたら駒ヶ岳がパノラマで見えてよかった。と、高木さんに同意を求めると高木さんは「おれはそんなん見る余裕はなかった」さらに梶原さんが「今日は薄曇りだったけれど、昨日は空がきれいで」と続けると、高木さんは「空と雪はたくさん見た」失礼ながら妙に親近感がわきました。
パノラマ〜と言ったとき、高木さんは手を広げて振ってパノラマ〜を表していて、梶原さんは気づいていなかったので、本田さんに知らされて気づくという一幕が挟まったりしていた。
こういうところに来ると『自然』を感じるけれど、そういう場所に行かないと自然を感じられないというのが何かおかしい。と話を始めるが、客席との距離が近かったからか客席を見ずに本田さんと高木さんの方を交互に見ながら話を続ける。他の人に強制したりはできないけれど、何かできる、何かをしていこうと投げやりにならず、諦めずに。自分一人では何もできないとは考えずに…と、“愛から”を歌われました。

ほとんどずっと座って…だったのだけれど、「立ちましょう」と言われて賑やかめの“JUST TONIGHT”“雨色の街から”を演られました。

さきほどの話で、ファンとゴンドラで一緒になって楽しかったから、今度は沖縄で泳ぐとかいいよね、という梶原さん。それには高木さんは「1年半待って」「1年半!?」と聞き返されて、「ちょっとね」と身体に手を沿わせるジェスチャーをすると、察してシェイプアップの話になった。余裕をもたせて1年半と言ったけれど、意志が弱いと余裕をもたせてもだめだとか。さらに梶原さんが「年を取るごとに脂肪ってとれにくくなるからね。肉のあいだに脂肪が入った霜降り状態になって」その表現はやめてください。

そして、最後の曲といって“早く君に逢いたい”。最後って、まだ8時過ぎ…早いんじゃ?と思っていると、梶原さんが「ちょっといいかな?」なんだ?なんだ?「今日、帰らなければならない人もいて、もうすぐ最終電車が出る時間になる。昨日、他の人と一緒に写真を撮ったように、写真を撮りたい。今、ちょっとここで写真を撮ってもいいかな?」うっひゃ〜!何ごと!?びっくりして顔を見合わせたDコース組5人。そうだ、二人は早い方の時間でマネージャーさんに言っていてそのままになってたんだ!(だって、こんな展開になるなんて思っていなかったもの)あわてて二人が時間は大丈夫だということを言って、ライブを続けてもらった。

これには、ひたすらびっくりするばかり。いくらファンクラブ内のライブで、参加者が少ないといっても、ライブを中断して写真を撮ってくれようとするなんて…135ってなんていい人たちなんだ。もちろん、私はもともと9時過ぎまでいられると言っていたので、このことの本人ではないのだけれど、もし、隣の駅に気がつかなければライブ途中で帰らなければならなかったわけで、けして他人事とは思えなくて…。ほとんど自分のことのように嬉しくて、ありがたく感じた。

曲のあとに、コンサートでアンコールをしない方がいいのか考えるという話。舞台から降りて客席がアンコールをかけているあいだに何をしているかと言えば、水を飲んだり着替えたりして5分くらいかかっている。それだけの時間があったら、もう1曲やれる!もし、そうするとしたら事前にアンコールの分も続けてやるということを伝えてということになるけれど。
と、この日は開演からここまで1時間30分ぐらいで、10曲しかやっていない。普段のコンサートだと21〜23曲やるので2時間30分は必要な計算になる。ということ。
そりゃあコンサート時間が長くなるはずだわ。

今後のコンサートの予定は、5月、7月、9月に東京・大阪・名古屋でコンサートをする予定だということ。135だから語呂合わせで「579」なんだろうか(笑)。札幌や仙台でもコンサートをすると言っていたので「言った以上はやる」と言われていたので、あいだの6,8月とかだろうか?と期待します。
そして、レコーディング。早ければ秋頃にCDが出るとか。しかし、ここで高木さんからフォローというかツッコミというか「注意しましょうね。早ければですから」と入り、本田さんも「遅ければ…遅くとも…」と続けるので、梶原さんも「来年…じゃなくて今年中には」

そして、“我愛イ尓”から、今度こそ最後の曲へ。と言いつつ、コンサートが終わったらお風呂に入りましょうと、何故か風呂の話になる。「男性諸君、一緒に入ろう!背中流させてくれ」と梶原さんが言うと、高木さんは「カメラは持ち込まないように」(笑)。そして、本田さんからは男性ファンとお風呂で一緒になった話がでました。「昨夜(ゆうべ)、風呂に行ったら三人組(男性ファン3人)がいて、『本田さんだ〜。お近づきのしるしに』って、(手を前にだして)胸触られちゃったよ」と、うわ〜って感じで笑いが起きて、…ちょっと沈黙。
本田さんが「あ、終わりました」と報告すると、「そうですか、では」と“愛から”でコンサートの終幕となりました。
演奏した曲数は12曲で、終了したのが20時30分くらいでした。2時間で12曲。このときには、曲数とか深く考えなかったけど、いかに話をしているかということですね。

写真はライブが終わってから、食事をした部屋に戻ってステージ衣装のままの135と並んでポラロイド写真を撮ってもらった。並んでから撮ってもらうまで、ちょっと時間があったので、何か話をしたい!とドキドキ。結局仙台から来たこと北海道に負けずに!?「美味しいものがあるので」仙台に来て欲しいといったことを言った(^_^;(何を言っているやら)すると、梶原さんが「牛タンとかね〜」と応えてくれた。

 135が部屋に戻ったあと、近くに残っていたファンの方と少しおしゃべりをして、会場をあとにしたのが21時15分くらい。5人で大沼駅まで歩く。街頭も道路を通る車もまばらな、真っ暗な道。しかし、興奮でいっぱいの私達には暗いも寒いもありゃあしない(笑)。道路沿いに人家がほとんどないのをいいことに135の曲を歌い、感想を語り合って歩いた1kmの道のりはあっという間だった。見上げた星空がとてもきれいに見えたのは、空の暗さだけが理由じゃなかった気がする。大沼駅から電車に乗って函館に着いたのが22時20分くらい。車中で話し続けても話したらず、駅前のミスタードーナツに23時の閉店までいて話し続ける。初対面の人たちなのに、135のことを話していると話がつきない。

私以外の4人はみんな道内から来た人たちで、最終バス、最終列車で帰っていった。私はというと、午前2時52分発の青森行き夜行急行に乗るのでかなり時間がある。そこで、この日のできごとを片っ端からノートに書き連ねていった。急行に乗っている間は眠ったけれど、夜明け前、青森に着いてバスを待つ間、さらに、青森から仙台への長距離バスに乗っているときあいだにも書き続けた覚え書きはA5のノートに10ページ分ほど。ほとんどMCの話になってしまったのは記憶力と表現力の問題か(^_^;(この文章はそのときのノートをもとに書きました)

スキーツアーから帰ると、続いて4月22日に行われる「アコースティックライブ」(NHK-FM)の公開録音の入場券に申し込みをした。この時期は、ライブ・イベントのひとつに参加するごとに次の催しがあり、誘いこまれるように参加を続けていた。
入場券1枚で2人入れたので、135ファンだがまだライブに行ったことがない茨城の友人と行くことにした。場所は、渋谷のNHK放送センター。入場券に地図も書いてあったのだが、私も友人も方向音痴…。迷いに迷い、1時間以上も余裕をもって行ったにも関わらず、開場時間ぎりぎりに入り口を見つけた。(道路よりも低いところにある入り口なのに3階なんて)スタジオに入ると、客席の上にもマイクがあるのが気になる(笑)。
135とBEGINの共演で、主にイーグルスの曲を演った。135でこんな音楽を聴くのもいいな♪…しかし、MCでの梶原さんの冗談はちょっとキツかった(ーー;)身内はともかく、共演者をネタにしてはいかんと思う。

公開録音が終わると、茨城の友人は終電が早いのですぐに帰ったが、私は誘われるままに近くにいた135ファンの人たちと食事に行った。もっとファンの人としゃべってみたくて。函館での出来事があとをひいていたのかもしれない。
そして、この日聞いた衝撃の一言「福島のライブには行くの?」えっ?

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